慈蘊『法相髄脳』の復原と解釈

東洋大学大学院仏教学専攻博士後期課程二年 師 茂樹

一 はじめに

一 『法相髄脳』

上代日本の唯識学派、所謂法相宗については、鎮護国家を担う国家仏教のひとつとして歴史的な側面からの研究が多く、その思想については、中国からの輸入仏教に留まるものとして不当に軽視されてきたように思う。著作が多く残っている善珠や護命、あるいは最澄との論争で有名な徳一等を除いては、文献単位での思想的な研究が疎かになっていると言わざるを得ない。

本論でとりあげる『法相髄脳』(以下『髄脳』)は、そのタイトルからも「法相宗の核心の問題について記したもの1」として注目されるのであるが、奥書からも、その重要性が推測される。

以上文。延暦廿二年付遣唐学生霊船闍梨渡於大唐 本書ハ六枚半書。本文許今私略。後引文可書。 保元元年秋九月日雇同法学生令写了。同月六日巳刻許以愚眼一交了。 興福寺五師大法師蔵俊 沙門覚憲伝之 (鈴木学術財団版『大日本仏教全書』巻三一・古宗部二・一三頁上~中)

まず最初の一行目にある「遣唐学生霊船闍梨に付して大唐に渡す」という一文から、佐伯良謙氏が指摘するとおり「平安初期より中期にかけて、各種の唐決なるものがあって、何れも不審の解決を彼土に求めらるゝに徴するに、本書亦その類であらう2」ことが推測され、当時の法相宗が抱えていた問題点を知る上で重要な意味を持っていると考えられる。また、二行目以降の蔵俊・覚憲によるコメントからもわかるように、もともとは六枚半あったという『髄脳』本文が、現存するものでは大幅に省略されている。この省略の理由を、富貴原章信氏は「後世写伝の便宜のため1」とされ、佐伯良謙氏は「南都古徳の間に相伝の秘書とせられた2」ためと考えられているが、法相宗が密教化していく中世以降において、本書が奥義や秘伝に類するものとして伝承され、重視され続けたことは間違いないだろうと思う。したがって、日本法相宗思想史上の本書の意義は、これまでの評価に比して非常に高いのではないだろうか3

二 作者について

本書の作者慈蘊についてはほとんどわかっていないが、本書の署名に「興福寺沙門慈蘊撮略」とあることから、慈蘊が興福寺に所属していたことが、また、先に引用した奥書に「延暦廿二年〔=八〇三年〕」とあることから、それ以前に慈蘊が本書を著したことわかる。そのほかにも、最澄『顕戒論縁起』巻上所収の「賜向唐求法訳語僧義真公験一首」(延暦二十四年〔=八〇五年〕九月十六日付)に「又就興福寺伝灯住位僧慈蘊。学法相」(伝教大師全集巻一・二八九頁)とあることから、義真が得度した延暦二十一年〔=八〇二年〕頃にはすでに「興福寺伝灯住位」として活躍していたことがわかるし、また仁忠『叡山大師伝』には、「詔道証。守尊。修円。勤操。慈蘊。慈完等法師。於野寺天台院。令受学披閲新写天台法門矣」(伝教大師全集巻五附録・二一頁)とあるが、これは「賜向唐求法最澄伝法公験一首」(延暦二十四年〔=八〇五年〕九月十六日付)に「即詔有司。令写法華維摩等経疏七通。選三論法相学生聡悟者六人。更相講論」(伝教大師全集巻一・二八五頁)とあることから考えると、慈蘊が法相宗を代表する「聡悟者」として、天台法門を学ぶよう命じられていたことがわかる。

これ以上の史料を管見では発見できなかったため、生没年等はわからないが、右の考察のとおり、少なくとも八〇二年から八〇五年のあいだに活躍していたことは間違いないだろうから、八世紀後半から九世紀前半の人であったことが推測される。

二 引用文の復原

現存する『髄脳』の本文は、前述の通り、中略された引用文より構成されている。ここではまず、『髄脳』本文(鈴木学術財団版『大日本仏教全書』巻三一・古宗部二・一三頁上)をあげて①~⑩とし、それに続けて、省略されているであろう引用箇所をあげることで復原とする。引用①、②は共に二箇所からの引用であるため、便宜上それぞれをa、bとした。

復原した引用文においては、適宜改行を施し、『髄脳』に現れている部分を傍線で示した。また、引用には「」を付し、文献名に対しては『』を付した。

① 今文者。如解深密経第一巻○非諸諍論安定処所 以上 又云。勝義生等。信解修学遍計所執在○今言非空非有中道教者。第三時也。
a.述今文者。如『解深密経』第一巻・『瑜伽』決択第七十六。世尊広為勝義生菩薩。依遍計所執体相無故。説相無自性性。依依他起上無遍計所執自然生故。説生無自性性。及即依此説無遍計所執一分勝義無自性性。依円成実上無遍計所執故。又説一分勝義無自性性。説三種無性皆依遍計所執性已。勝義生菩薩深生領解。広説世間毘湿縛薬・雑采画地・熟酥・虚空諸譬喩已。世尊讃歎善解所説「勝義生菩薩復白仏言。世尊初於一時。在婆羅泥斯仙人堕処施鹿林中。唯為発趣声聞乗者。以四諦相転正法輪。雖是甚奇甚為希有。一切世間諸天人等。先無有能如法転者。而於彼時所転法輪。有上有容是未了義。是諸諍論安足処所。世尊在昔第二時中。唯為発趣修大乗者。依一切法皆無自性無生無滅本来寂静自性涅槃。以隠密相転正法輪。雖更甚奇甚為希有。而於彼時所転法輪。亦是有上有所容受。猶未了義。是諸諍論安足処所。世尊於今第三時中。普為発趣一切乗者。依一切法皆無自性無生無滅本来寂静自性涅槃無自性性。以顕了相転正法輪。第一甚奇最為希有。于今。世尊所転法輪。無上無容是真了義。非諸諍論安足処所」。
(今文を述さば、『解深密経』第一巻・『瑜伽』決択第七十六の如し。世尊広く勝義生菩薩の為に、遍計所執の体相の無なるが故に、相無自性性を説き、依他起性の上に遍計所執の自然に生ずること無きに依るが故に、生無自性性を説き、及び即ち此の説に依りて遍計所執無き一分の勝義無自性性を説き、円成実の上に遍計所執無きに依るが故に、又一分の勝義無自性性を説く。三種の無性が皆遍計所執性に依ることを説き已る。勝義生菩薩深く領解を生じ、広く世間の毘湿縛薬・雑采画地・熟酥・虚空の諸の譬喩を説き已る。世尊は善解所説を讃歎す。勝義生菩薩復た仏に白して言う。世尊は初め一時に於て、婆羅泥斯仙人堕処施鹿林中に在りて、唯だ声聞乗を発趣する者の為、四諦相を以て正法輪を転ず。是れ甚奇にして甚だ希有なりと為し、一切世間諸天人等の先に能く如法に転ずる者有ること無しと雖も、而も彼の時の所転法輪に於て、上有り容有り是れ未だ了義ならず、是れ諸の諍論の安足する処所なり。世尊は昔第二時中に在りて、唯だ大乗を修せんと発趣する者の為に、一切法が皆自性無く生ずること無く滅すること無く本来寂静にして自性涅槃なるに依りて、隠密相を以て正法輪を転ず。更に甚奇にして甚だ希有なりと為し、而も彼の時の所転法輪に於て、亦是れ上有り容受する所有り、猶お未了義にして、是れ諸の諍論の安足する処所なり。世尊今第三時中に於て。普く一切乗を発趣する者の為に、一切法皆無自性無生無滅本来寂静自性涅槃無自性性に依りて、顕了相を以て正法輪を転ず。第一に甚奇にして最も希有なりと為す。今、世尊の転ずる所の法輪は、上無く容無く是れ真の了義にして、諸の諍論の安足する処所に非ず。)

b.勝義生等信解修学。遍計所執無。知法我倶遣。依他円成有。照真俗双存。無無所無所以言無。有有所有所以言有。言有而有亦可言無。遍計所執真俗無故。言無而無亦可言有。当情我法二種現故。令除所執我法成無。離執寄詮真俗称有。妄詮我法非無非不無。当情似有。拠体無故。妄詮真俗非有非不有。非称妄情。体非無故。我法無故倶是執皆遣。真俗有故諸離執皆存。由此応言。迷情四句四句皆非。悟情四句四句皆是。説境我法空破初執有。説心真俗有破次執空。諸偏見者初聞説有。便即快心於空起謗。後聞説空亦復協意便謗於有。今言非空非有中道教者第三時也。
(勝義生等信解し修学し、遍計所執は無なれば、法我倶に遣ることを知り、依他円成は有なれば、真俗双存すと照らす。無は無する所無く、所以に無と言い、有は有する所有あり、所以に有と言う。有と言いても有は亦無と言うべし、遍計所執は真俗において無なるが故に。無と言いても無は亦有と言うべし、情に当りては我法の二種が現ずる故に。所執の我法を除かしむれば無を成じ、執を離れ詮に寄れば真俗は有と称す。妄詮の我法は無に非ず無ならざるに非ず、情に当れば有に似て、体に拠れば無なるが故に。妄詮の真俗は有に非ず有ならざるに非ず、妄情に称うに非ず、体は無に非ざるが故なり。我法は無なるが故に倶に是れ執なれば皆遣る。真俗は有なるが故に諸の執を離れたるは皆存す。此に由りて応に言うべし、迷情の四句は四句皆非にして、悟情の四句は四句皆是なりと。境の我法は空なりと説きて初に有に執するを破し、心の真俗は有なりと説きて次に空に執するを破す。諸の偏見の者は初に有を説くを聞きて、便即ち心を快くして空に於て謗を起こす。後に空を説くを聞きて亦復意に協いて便ち有を謗る。今非空非有中道教と言うは第三時なり。)

② 又列自宗中。復分為二。初列辺主。○中道之義以為宗也。対法抄第一云。彰宗旨。略有二説。一依清辨朋輔龍猛。○中道之義以為宗也。
a.列自宗中復分為二。初列辺主後列中主。 列辺主者。謂清辨等朋輔龍猛。『般若経』意説諸法空。雖一切法皆不可言。由性空無。故不可説為空為有。乃至有為・無為二法。約勝義諦体雖是空。世俗可有。故説頌言「真性有為空。如幻縁生故。無為無有実。不起似空花」。乃至不立三性唯識。此由所説勝義諦中皆唯空故。名為辺主。
列中主者。謂天親等輔従慈氏。『深密』等経。依真俗諦説一切法有空不空。世俗諦理遍計所執情有理無。有為無為理有情無。勝義諦中雖一切法体或有或無。由言不及非空非有。非由体空名不可説。『成唯識』説「勝義諦中心言絶故」。非空非有。寄言詮者故引慈氏所説頌言「虚妄分別有。於此二都無。此中唯有空。於彼亦有此。故説一切法。非空非不空。有無及有故。是即契中道」。此即建立三性唯識。我法境空。真俗識有。非空非有中道義立。即以所明説一切法非空非有中道之義。以為宗也。
(自宗を列する中、復分って二と為す。初に辺主を列し後に中主を列す。
辺主を列せば、謂く清辨等にして龍猛に朋輔す。『般若経』の意に諸法の空を説き、一切法は皆不可言なりと雖も、性の空無なるに由るが故に空と為すとも有と為すとも説くべからず。乃至有為・無為の二法は、勝義諦に約せば体是れ空なりと雖も、世俗には有なるべし。故に頌を説きて言わく「真性に有為は空なり、幻の如く縁生なるが故に。無為は実有ること無し、起らざるがゆえに空花に似たり」と。乃至三性唯識を立てず。此れ所説の勝義諦中には皆唯空なりというに由るが故に、名づけて辺主と為す。
中主を列せば、謂く天親等にして慈氏に輔従す。『深密』等経に、真俗諦に依りて一切法空不空有りと説く。世俗諦の理には遍計所執は情には有にして理には無、有為無為は理には有にして情には無なり。勝義諦中には一切法の体は或は有或は無なりと雖も、言の及ばざるに由りて非空非有なり。体の空なるに由りて不可説と名づくるには非ず。『成唯識』に説く「勝義諦中には心言絶するが故に」、非空非有なり。言詮に寄るとは、故に慈氏所説の頌を引いて言わく「虚妄分別は有なり。此に於て二は都べて無なり。此の中唯だ空のみ有り。彼に於て亦此有り。故に一切法は、非空非不空なりと説く。有と無と及び有との故に、是れ即ち中道に契う」と。此れ即ち三性唯識を建立す。我法の境は空にして、真俗の識は有なり。空に非ず有に非ざる中道義立す。即ち明かす所の一切法非空非有なりと説く中道之義を以て、以て宗と為すなり。)

b.彰宗旨。略有二説。
一依清辨朋輔龍猛。『般若経』意説諸法空。雖一切法皆不可言。由性空無。故不可説為空為有。且如有為・無為二法。依世俗諦差別体有。依勝義諦性相皆空。故説頌言「真性有為空。如幻縁生故。無為無有実。不起似空花」。此真性言自勝義諦。依勝義諦諸法空故。彼宗世俗皆性非空。故龍猛等説世俗有。経説唯識三性等者。皆依世俗非勝義門。世俗諦中識心最勝。故言唯識非無境等。如言王来非無臣佐。此師宗意真俗空有。如眼有翳見有空華。眼翳若除空華遂滅。真空俗有其理定然。雖大乗宗然非此意。
二天親等輔大慈尊。『深密』等経説宗意者。依真俗諦説一切法有空不空。世俗諦理遍計所執空。有為無為有故。勝義諦中雖一切法体或有無。由言不及非空非有。非由体空名不可説。『成唯識』言「依勝義諦心言絶故」。非空非有。又引慈氏所説頌言「虚妄分別有。於此二都無。此中唯有空。於彼亦有此。故説一切法。非空非不空。有無及有故。是即契中道」。此中応説雖依勝義一切法体性不可言。而寄言詮説為空有。非勝義諦唯一真如。真諦四重論所説故。由斯唯識三性理成。我法境空。真俗識有。非空非有中道義立。良以所明説一切法非空非有中道之義。以為宗也。
(宗旨を彰すに、略して二説有り。
一には清辨にして龍猛に朋輔するに依る。『般若経』の意に諸法の空を説き、一切法は皆不可言なりと雖も、性の空無なるに由るが故に空と為すとも有と為すとも説くべからず。且つ有為・無為二法は、世俗諦に依らば差別の体有り、勝義諦に依らば性相皆空なるが如し。故に頌を説きて言わく「真性に有為は空なり、幻の如く縁生なるが故に。無為は実有ること無し、起らざるがゆえに空花に似たり」。此の真性とは勝義諦に自ることなり。勝義諦に依らば諸法は空なるが故に。彼の宗の世俗は皆性空に非ざるが故に龍猛等は世俗の有を説く。経に唯識三性等を説くは、皆世俗に依りて勝義門には非ず。王来たりても臣の佐けを無くすに非ずと言うが如く、此の師の宗の意は真と俗とにおいて空と有となり。眼に翳ありて空華有りと見るが如し。眼翳若し除かば空華遂に滅す。真は空にして俗は有なりという其の理は定んで然り。大乗宗なりと雖も然るに此意に非ず。
二には天親等にして大慈尊に輔す。『深密』等経に説く宗意とは、真俗諦に依りて一切法空不空有りと説き、世俗諦の理には遍計所執は空なり。有為無為は有なるが故に。勝義諦中には一切法の体は或は有無なりと雖も、言の及ばざるに由りて非空非有なり。体の空なるに由りて不可説と名づくるには非ず。『成唯識』に言わく「勝義諦中には心言絶するが故に」、非空非有なり。又慈氏所説の頌に言わく「虚妄分別は有なり。此に於て二は都べて無なり。此の中唯だ空のみ有り。彼に於て亦此有り。故に一切法は、非空非不空なりと説く。有と無と及び有との故に、是れ即ち中道に契う」と。此れ即ち三性唯識を建立す。我法の境は空にして、真俗の識は有なり。空に非ず有に非ざる中道義立す。即ち明かす所の一切法非空非有なりと説く中道之義を以て、以て宗と為すなり。)

③ 二十唯識疏上巻云。依清辨等破有為空。○故今所説於理無違。
依清辨等。破有為空。「真性有為空。縁生故。如幻」。彼似比量。非真比量。若我真性。離心言故。有為非空。若汝真性。非極成有。唯是空故。故今所説。於理無違。
(清辨等に依りて、有為の空を破す。「真性に有為は空なり、縁生なるが故に、幻の如し」。彼は似比量にして、真の比量に非ず。若し我の真性ならば、心言を離るるが故に、有為は非空なり。若し汝の真性ならば、有を極成するには非ず、唯だ是れ空なるが故に。故に今の所説は、理に於て違すること無し。)

④ 中辺釈云。虚妄分別有者。謂有所取能取分別○説一切法非空非有。
頌曰
虚妄分別有 於此二都無
此中唯有空 於彼亦有此
論曰。「虚妄分別有」者謂有所取能取分別。「於此二都無」者。謂即於虚妄分別。永無所取能取二性。「此中唯有空」者。謂虚妄分別中。但有離所取及能取空性。「於彼亦有此」者。謂即於彼二空性中。亦但有此虚妄分別。若於此非有。由彼観為空。所余非無故。如実知為有。若如是者則能無倒顕示空相。復次頌曰
故説一切法 非空非不空
有無及有故 是則契中道
論曰。「一切法」者。謂諸有為及無為法。虚妄分別名有為。二取空性名無為。依前理故説此一切法「非空非不空」。由有空性虚妄分別故説「非空」。由無所取能取性故説「非不空」。「有故」者。謂有空性虚妄分別故。「無故」者。謂無所取能取二性故。「及有故」者。謂虚妄分別中有空性故。及空性中有虚妄分別故。「是則契中道」者。謂一切法非一向空。亦非一向不空。如是理趣妙契中道。亦善符順『般若』等経説一切法非空非有。
(頌に曰く
虚妄分別は有なり。此に於て二は都べて無なり。
此の中唯だ空のみ有り。彼に於て亦此有り。
論じて曰く、「虚妄分別は有なり」とは、謂く所取能取の分別が有るなり。「此に於て二は都べて無なり」とは、謂く即ち虚妄分別に於て、永く所取能取の二性の無きなり。「此の中唯だ空のみ有り」とは、謂く虚妄分別の中に、但だ所取及び能取を離るる空性有るなり。「彼に於て亦此有り」とは、謂く即ち彼の二の空性中に於て、亦但だ此の虚妄分別の有るなり。若し此に於て有に非ざれば、彼を観ずるに由りて空と為し、余す所は無に非ざるが故に、如実に知りて有と為す。若し是の如くんば則ち能く倒すること無くして空相を顕示す。復た次に頌に曰く
故に一切法は、非空非不空なりと説く。
有と無と及び有との故に、是れ即ち中道に契う
論じて曰く、「一切法」とは、謂く諸の有為及び無為法は、虚妄分別を有為と名づけ、二の取の空性を無為と名づく。前の理に依るが故に此を説きて一切法は「非空非不空」なりとす。空性と虚妄分別との有るに由るが故に「非空」と説き、所取能取の性無きに由るが故に「非不空」と説く。「有故」とは、謂く空性と虚妄分別と有るが故なり。「無故」とは、謂く所取能取の二性無きが故なり。「及有故」とは、謂く虚妄分別の中に空性有るが故なり、及び空性の中に虚妄分別有るが故なり。「是れ即ち中道に契う」とは、謂く一切法は一向に空ならず、亦一向に不空ならず。是の如き理趣は妙に中道に契い、亦善く『般若』等経の一切法非空非有と説くに符順す。)

⑤ 道者。基中辺疏云。中謂非辺○離於過失故言中道。
『論』曰「是則契中道」至「妙契中道」 述曰。由有有無二種法故。一切諸法非皆有空。則契中道。中謂非辺。道者真智。此理妙故合真智。又言道遊履之義。即是真如智所遊履。此中所説有無義趣妙合真如大道理也。離於過失故言中道。旧云「是名中道義」者非也。
(『論』に曰く、「是れ即ち中道に契う」より「妙に中道に契う」に至る 述して曰く、有と無との二種の法有るに由るが故に、一切諸法は皆有にも空にも非ず、則ち中道に契う。中とは謂く辺に非ざるなり。道とは真智なり。此の理は妙なるが故に真智に合す。又道とは遊履の義なりと言い、即ち是れ真如智の遊履する所なり。此の中に有無の義趣を説く所は妙に真如大道理に合するなり。過失を離るるが故に中道と言うなり。旧に「是れを中道義と名づく」と云うは非なり。)

⑥ 識疏第四云。似比量者○名似比量。
『論』「有執大乗」至「及一切法」 述曰。第五清辨無相大乗。於俗諦中亦説依他・円成有故。真諦皆空故。今言空者遣遍計所執。彼執此文為正解故。彼依『掌珍』「真性有為空」等似比量。撥無此識及一切法皆言無体。
言「似比量」者。謂約我宗真性有為無為非空不空。有法一分非極成過。汝不許有我勝義故。四種世俗・勝義之中各随摂故。若随小乗彼転実有。便違自宗。若随汝自宗勝義空者。我不許汝空勝義故。亦非極成。又以我説若約世俗無為有為二倶是有。若約勝義非空不空。汝今説空。即有違自教之失。名似比量。
(『論』の「有るが執する大乗」より「及び一切法」に至る 述して曰く、第五に清辨の無相大乗なり。俗諦中に於て亦依他・円成の有を説くが故に、真諦には皆空なるが故に。今空と言うは遍計所執を遣るなり。彼は此の文に執して正解と為すが故に、彼『掌珍』の「真性有為空」等の似比量に依りて、此の識及び一切法を撥無し皆無体なりと言う。
「似比量」と言うは、謂く我が宗の真性に約せば有為無為は空不空に非ず。有法の一分極成せざるの過なり。汝は我が勝義の有るを許さざるが故に。四種の世俗・勝義の中に各随摂するが故に、若し小乗に随わば彼転じて実有となし、便ち自宗に違す。若し汝の自宗に随いて勝義は空なりとせば、我は汝の空勝義を許さざるが故に、亦極成ならず。又我が説を以て若し世俗に約さば無為有為の二は倶に是れ有なりと、若し勝義に約さば非空不空なりとせば、汝今空と説くは、即ち自教に違するの失有り。似比量と名づくべし。)

⑦ 枢要下巻云。破清辨似比量宗○名似比量。
破清辨似比量。宗有一分所別不成。如論中道勝義。亦有一分違宗之失。不成如『疏』中解。同喩「如幻」者。依俗諦如幻有二徴。如幻実事。非縁生故能立不成。如幻似事。此宗非空所立不成。依勝義諦。彼此二宗一切法皆不可言。非空非不空。非縁生非不縁生。何得「似空華」等為喩。同喩亦有倶不成失。名似比量。
(清辨の似比量を破するに、宗に一分所別不成有り。中道の勝義を論ずるが如し。亦一分違宗の失有り。成ぜざること『疏』中の解の如し。同喩の「幻の如し」とは、俗諦に依るとせば「幻の如し」に二徴有り。如幻が実事ならば、縁生にあらざるが故に能立は成ぜず。如幻が似事ならば、此の宗は非空にして所立は成ぜず。勝義諦に依るとせば、彼と此の二宗の一切法は皆不可言なり。非空にして非不空、非縁生にして非不縁生なれば、何ぞ「空華に似たり」等を喩と為すを得ん。同喩にも亦倶不成の失有り。似比量と名づくべし。)

⑧ 灯第四云。論依似比量。○喩過准知。
『論』「依似比量撥無此識」者。『本疏』及『枢要』皆辨過失。如彼諸説。宗中無有法不極成過。以其真性不是有法。挙此真性。意取有為以為有法故。今謂是過。彼挙真性。真性皆空無有為法。本意不取真性為有法。於真性中復不可言説。説何以為有為有法。故有法過。若取護法勝義有為。有為非空不空。彼一分違自宗過。取薩婆多勝義有為。倶違宗過。
復有説彼因亦無過。縁生法空符宗無故 此亦不爾。若縁生法空。是護法許宗有相符。縁生不空。清辨言空随一不成過。又勝義空。何有縁生。亦彼自随一不成過。又依世俗縁生許有幻事為喩。世俗有体因於彼転。是法自相相違因。若以実幻為喩。彼非縁生闕因後二相。以似幻喩有為異法喩縁生因転。亦是法自相相違因。喩過准知。
(『論』に「似比量に依りて此識を撥無す」とは、『本疏』及び『枢要』に皆過失を辨ず。彼の諸の説の如きは、宗中に有法の極成せざる過無し。其の真性を以て是れ有法なりとせず。此の真性を挙ぐれども、意は有為を取りて以て有法と為すが故に。今是の過と謂うは、彼は真性を挙ぐれども、真性は皆空にして有為法の無きなり。本意に真性を取りて有法と為すにはあらず。真性の中に於ては、復た言説すべからず、何を以て有為を有法と為すと説くや。故に有法の過あり。若し護法の勝義の有為ならば、有為は空不空に非ざるなり。彼一分自宗に違するの過あり。薩婆多の勝義の有為を取らば、倶に宗に違するの過あり。
復た有るが説く、彼の因には亦過無し、縁生法は空にして宗の無に符うが故に、と 此亦爾らず。若し縁生法が空なること、是れ護法が許すところならば、宗は相符うこと有り。縁生は空ならざるをもって、清辨が空と言うは随一不成の過あり。又勝義の空には、何ぞ縁生有らん、亦彼自ら随一不成の過あり。又世俗に依りて縁生を有なりと許さば、幻事を喩と為し、世俗に体有るをもって因は彼に於て転ず。是れ法自相相違因なり。若し実幻を以て喩と為さば、彼は縁生に非ずして因の後の二相を闕く。似幻の喩は有為の異法喩なるを以て縁生の因は転じ、亦是れ法自相相違因とす。喩の過は准じて知るべし。)

⑨ 演秘第三云。論依似比量。○如因明抄。
『論』「依似比量」等者。如『疏』『枢要』『義灯』具明。
問如仏法者対声論師立声無常。声有法宗不為其過。真性有為既是有法。何故『疏』等判為過耶。以有法中不言空故 答如数論師対仏法者説我是思。雖仏法中許有仮我。彼不分別。意談思我故所別過。此類亦然。故有法失。
若爾声宗亦不分別対声常宗。応所別過 答沈(=汎?)爾言声。立敵皆許。真性有為道理差互。立敵乃別。故有法失。不同声宗。准『掌珍論』有広紛諍。如『因明鈔』。
(『論』に「似比量に依る」等とは、『疏』『枢要』『義灯』に具さに明すが如し。
問う、仏法者が声論師に対して声の無常を立つるが如く、声の有法の宗には其の過を為さず。真性有為は既に是れ有法なり。何故『疏』等は判じて過と為すや。有法の中を以て空と言わざるが故に 答う。数論師が仏法者に対して我は是れ思なりと説くが如く、仏法中に仮我有りと許すと雖も、彼は分別せずして、意のままに思我を談ずるが故に所別の過なり。此の類に亦然り。故に有法の失なり。
若し爾らば声の宗は亦声常の宗に対して分別せず、応に所別の過なるべし 答う、汎そ声と言うは、立も敵も皆許すなり。真性有為は道理差互す。立と敵とは乃ち別なり。故に有法の失なり。声の宗と同じからず。『掌珍論』に准ずれば広く紛諍すること有り。『因明鈔』の如し。)

⑩ 如道疏義蘊云。疏執此文為正解者○違大乗之旨。既有所執故。違自教。
該当箇所なし。現存せず。

三 内容分析

一 課題

以上、引用原典を列挙することで、『髄脳』の省略部分を一応、復原できたわけであるが、具体的な問題点を指摘する「地の文」にあたる部分が欠落しており(あるいは、もともと無かったのかもしれないが)、何を意図して引用されているのかが把握しがたい。「唐決」であれば、教理上何らかの矛盾、未解決の問題があり、それをこの引用群において表現しようとしていたことが想像されるから、ここでは各引用間の差異に注目しつつ検討していきたい。

以下、分析するにあたっては、引用文を直接分析すると同時に、同時代の文献に見える教理上の問題意識と比較することで、『髄脳』の意図した点を明らかにしたいと思う。その際、まず引用の右肩に記された小テーマ「三時」「破空」「比量」を個別に分析し、最終的に『髄脳』全体のテーマを浮かび上がらせることができればと思う。

二 三時

引用①~④は、基の著作を中心とした三時教判に関する所説を引用していると考えられる。三時教判は言うまでもなく法相宗の代表的な教判であり、『解深密経』無自性相品の所説をもとにして初時有教・第二時空教・第三時非空非有中道教とし、法相宗の所依である『解深密経』『瑜伽師地論』等を最勝たる第三時とするものである6

まず引用①は『大乗法苑義林章』から二箇所、引用したものであるが、最初のaでは、遍計所執性の体相が無であるから相無自性が、依他起性上には遍計所執性の自然生が無いから生無自性が、依他起性と円成実性の上に遍計所執性が無いことから勝義無自性がそれぞれ説かれ、したがって三無性がすべて遍計所執性の無によってを説かれることを指摘した上で、『解深密経』を引用する。三無性との関係で注目されるのは、第二時でも第三時でも説法の内容は同じ「一切法皆無自性無生無滅本来寂静自性涅槃」となっており、説法の仕方が「隠密」であるか「顕了」であるかで浅深が異なると判断している点である。顕了であるというのは、すなわち三性・三無性をもって無自性の内容を明了に説示したということを指すのであろう。次のbにおいても、三性の有無によって三時教判が説かれるわけであるが、ここでは、本来「非空非有中道」であるはずのものを、非空の説を聞いて有と「偏見」し非有の説を聞いて空に執してしまうことで教時に違いが出ると説明されている。つまり引用①における教相判釈の態度は、それぞれの教時における表現や受け取られ方は異なっていても、根本には非空非有中道教があった、とするものではないかと思われる。

次に引用②では、a『大乗法苑義林章』とb『大乗阿毘達磨雑集論述記』(通称「対法抄」)の同趣旨の箇所を引く。後者の記述が少し詳しい点を除いては、ほとんど異なるところがない。「大乗宗」(引用②b)のなかで、『般若経』・龍樹・清辨の中観派の系統を「辺主」、『解深密経』・弥勒・世親の唯識派の系統を「中主」として両者を比較しているのであるが、これは前者を三時教判の第二時、後者を第三時としていると考えて間違いないだろう。ただし、引用①とは異なり、第二時と第三時の内容はまったく異なるものとして説明されている。中観派においては世俗を有、勝義を無(空)とするのに対して、唯識派は勝義・世俗とも非空非有であるとする。

続く引用③、④は、この引用②において第二時辺主と第三時中主の根拠になっている、『掌珍論』と『中辺論』について検討しているようである。

まず引用③においては、『掌珍論』冒頭にみえる、

真性有為空 如幻縁生故
無為無有実 不起似空華(大正三〇・二六八b)

という比量(所謂「掌珍比量」)に対して、これを「似比量」すなわち誤った推論とし、その理由が指摘されている。すなわち、冒頭の「真性」とは、清辨の比量の特徴である「勝義諦においては」という限定句であるが、法相宗が考える勝義諦では、言説を離れているため有為は非空であり、一方、清辨の勝義諦においては一向空であるため「真性有為空」という結論になってしまう。したがって、引用①、②では「未了義」「辺主」などと低く見られながらも一応、第三時中道教の前段階として、あるいはの一側面として存在を認められていた第二時の教理は、今やまったくの誤りとして否定されてしまったことになる。

次の④は、『中辺論』そのものが引用されているのであるが、注目すべきは最後に見える「善く『般若』等経の一切法非空非有を説くに符順す」という一文である。『般若経』で非空非有が説かれているとすれば、引用②、③における第二時に対する差別化、批判的な態度がまったくの無に帰してしまうことは明らかであろう。

以上の考察を、『髄脳』の関心である矛盾という観点からまとめると、引用①、④においては、第二時と第三時の教理内容を基本的に同じものと見なしているのに対して、引用②ではまったく異なるものとし、引用③においては第二時の内容を誤りであると断じており、ここに第二時に対する温度差が読み取れると思う。

三 破空

「破空」という小題の下にあげられているのは引用⑤のみであるが、『中辺論』の注釈であるという点からしても引用④を前提としていることだけは明白であろう。ここでは「中道」という語の定義をしているのであるが、「中」とは「辺」ではないこと、「道」とは「真智」、「中道」とは「過失」を離れること、としている。

右に指摘してきたとおり、引用④においては、第三時の教理とされる非空非有中道教が、第二時の経典とされる『般若経』に説かれている、という記述が見えるわけであるが、それにもかかわらず基が「破空」している点、すなわち第二時空宗を「過失」であると批判的な態度をとっていることを表現せんとしたのであろうか。情報が非常に限られているため推測の域を出ないのが残念である。

四 比量

引用⑥~⑩では、「掌珍比量」に対する法相宗諸師の批判が引用されている。この比量については、これまで見てきたように引用②、③にも見られ、『髄脳』全体をつらぬくテーマとの関連が考えられる。

引用⑥を見てみよう。『成唯識論』において「此識(=阿頼耶識)及び一切法を撥無する」という結論を導くという「似比量」を、『述記』では右に掌珍比量であるとし、冒頭の「真性」について引用③と同様の分析をする。すなわち、法相宗における勝義諦は有為も無為も非空非有であり、「小乗」における勝義諦は「実有」であるのに対して、清辨は勝義諦において一向空であるとするため、「有法」すなわち推論の主語を共有できないという不具合(「有法一分不極成」)が起きてしまい、したがって清辨の比量は成立しない、というのが『述記』の主張である。

ところで、この掌珍比量に関して、日本の法相・三論両宗のあいだで激しい論争があったことが太田久紀氏、平井俊栄氏、松本信道氏らによって指摘されている7。すなわち、天平年間に端を発し、延暦年間に度々、法相宗と三論宗との対立を解決せんとする詔が発せられているのであるが、その背景には掌珍比量をめぐる論争が、『大仏頂経』の真偽問題と密接に関連して存在していた、というのである。何故、『大仏頂経』の真偽が深く関わってくるのかというと、『大仏頂経』巻五冒頭の偈に、掌珍比量と同様の文が見えるからである。

真性有為空 縁生故如幻
無為無起滅 不実如空花(大正十九・一二五c)

このように、『掌珍論』とほとんど変わるところがないため、清辨を擁護することで一向空を主張したい三論宗としてはこの経文を明証とし、一方、非空非有中道教を宗とし、宗祖が清辨を批判している法相宗側としては、『大仏頂経』の偽撰説を出すことで三論宗の主張を崩したいというのである。

今、この論争の流れをまとめると、左のようになる。

貞観二三(六四九)『大乗掌珍論』を訳出
神竜元(七〇五)『大仏頂経』訳出
〔以上中国暦、以下和暦〕
養老二(七一八)道慈帰朝(『大仏頂経』伝来?)
養老四(七二〇)『日本書紀』成立(『大仏頂経』に基づいた道慈による潤色)
天平七(七三五)玄昉帰朝(『掌珍論』伝来?)
天平八(七三六)中臣名代帰朝(『大仏頂経』再請来)
 この間、三論・法相の僧を請集し『大仏頂経』の真偽について「検考」する。
天平一七(七四五)中臣名代没
宝亀三(七七二)徳清入唐
宝亀七(七七六)『東大寺六宗未決義』申上
宝亀一〇(七七九)諸僧都等が大安寺に集まり『大仏頂経』が偽経であると主張、戒明が連署を拒否。思託、大仏頂行道。
延暦一七(七九八)8
延暦二〇(八〇一)9
延暦二一(八〇二)10 最澄、高雄講経
延暦二二(八〇三)11 霊船入唐(『法相髄脳』)
延暦二三(八〇四)12
弘仁年間慶俊と仁秀の論争
天長七(八三〇)天長勅撰六本宗書

このように、激しい論争が繰り広げられていたためか、掌珍比量に関する法相宗側の解釈についても、多くの資料が残されている。ここでは特に、法相宗内部でおきた解釈の差異についての記事がある、善珠(七二四~七九七)の『唯識分量決』と慚安(~八一五~)の『法相灯明記』をとりあげたい。

まず、『唯識分量決』では、掌珍比量最初の「真性」が、有法(主語)含まれるのか含まれないのかで法相諸師のあいだで二説ありとし、それぞれ次のように分類している(大正七一・四四七a~四四八a)。

(一) 「真性」を有法に含まない……靖邁『掌珍論疏?』・神昉『唯識文義記』第五巻・大賢「大乗心路章記」・慧沼『了義灯』第四巻
(二) 「真性」を有法に含む……智周『演秘』・義賓『成唯識論掌中枢要記』13・憬興『成唯識論貶量』

また興福寺の慚安が、当時の興福寺・元興寺間の異説を集めた『法相灯明記』でも、この「真性」についても両寺で対立があったことを伝えている(大正七一・四九b~五〇a)。これは次のようにまとめられるだろう。

(一) 「真性」と「有為」とを分けて考える……元興寺
(二) 「真性有為」の四字を有法と考える……興福寺

元興寺の説については、その根拠となる引用はひとつもないが、興福寺説については、その証拠として基『述記』・慧沼『了義灯』・行賀『成唯識論僉記』・義賓『成唯識論掌中枢要記』14が引用されており、『唯識分量決』における(二)説と慧沼を除いて重なっていることがわかる。

このような背景をふまえて『髄脳』の引用文を検討してみると、まず引用⑥では、お互いの「勝義」の内容を認めあえないことを「有法一分非極成」と言っているのであるから、『法相灯明記』において言われているごとく、また、太田久紀氏が「述記の文に依る限り、〈真性〉は、宗所依なのか、有法なのかやや不明でもあるが、有法一分不極成過が付せられている点からすれば、有法として解釈したものと理解してよかろう15」と言われるごとく、「真性」を有法に含めて考えていたのであろう。同じ基による引用⑦においては、宗と喩とにそれぞれ過失があるとする。宗については引用⑥の『述記』の参照を促し、喩については、俗諦における「幻の如し」などという喩は世俗における非空を認める立場を否定することになり、勝義諦においては不可言であるため喩そのものが成立しない、とする。この喩についての批判に「有法」という語は見えないが、そもそも有法は三支全体にかかるものであることをふまえると、喩における勝義・世俗が問題になっていることは、すなわち「真性」が宗所依ではなく有法であると考えられていたことを示していると思われる。しかし、江島恵教氏が「例えば『因明入正理論疏』巻中本では、これ〔=「勝義においては」という限定づけ。引用者注〕があるために自教・世間等に排撃される誤謬はないといい、(中略)他方、『成唯識論述記』巻四本、『成唯識論掌中枢要』巻下本では『掌珍論』のこの推論式について誤謬を指摘しているのである16」と指摘されるとおり、基自身に掌珍比量に対する矛盾が含まれている点は注意しておきたい。

次の引用⑧においては、「彼」の所説のごとく「真性」は有法ではないので、宗には「有法不極成過」はなく、「勝義においては」という不可言の条件下で主語を言おうとすること、それ自体に問題があるとする。「彼」とは恐らく、清辨を指すと考えられるが、ここでは右の基の「真性」理解と対立している点が注目される。

引用⑨については、引用⑥~⑧の参照を促しているものの、最初の問答の中に「真性有為既是有法」とあるように、「真性有為」の四字を有法と見なす見解が示されている。 引用⑩は該当箇所が復原できないためはっきりとしたことは言えないが、『法相灯明記』所引の行賀『成唯識論僉記』に「理和尚」の説として次のように述べている。

唐朝新度唯識僉記云。
理和尚説。言「一分」者。護法云。勝義諦中非空不空。縁生有故非空。遍計所執無故非不空。於真性中離言絶相。不可言其空有。有清辨云。勝義諦中一切皆空。即違護法一分不空之理。故言一分不成失。乃至『疏』文謂「約我宗」等文云。即約護法真性之中非空不空。清辨不許護法勝義非空。故言一分付極成也。有抄復云。護法非空不空。彼清辨言。勝義皆空。望於不空故言一分不成 (大正七一・四九c)

ここでは、「一分不極成過」の「一分」について、護法の「一分不空之理」(すなわち「非空不空」の「一分」が「不空」であること)に清辨が違反していることだとしており、有法に「真性」が入るか入らないかについての直接的な議論は見られない。しかし、『灯明記』はこの『僉記』の文を「真性有為」の四字を有法とする根拠としてあげており、「理和尚」すなわち如理がその立場であったことを傍証しているのではないかと思われる。

したがって、引用⑥~⑩のなかで、引用⑧の慧沼を除いては「真性有為」の四字を有法とする立場であることが『髄脳』の引用文からもわかる。引用③などにおいて空宗に対する批判の根拠になっていたこの掌珍比量であるが、右のように諸師のあいだで一貫性が見られないことは批判する側としては大きな弱点であろうし、『髄脳』はその弱点を克服せんとして中国に答えを求め渡ったと考えられるのではないか。

五 『髄脳』全体の意図

以上の検討によって、中国法相宗の諸師によるさまざまな教説のあいだで、第二時に当たる一向空の思想に対するとらえ方の相違が見られることがわかった。空宗に対する融和的な態度、あるいは空宗への批判において論理に一貫性がないことなどは、三論宗との対立問題を現実に抱えていた当時、看過し得ないきわめて重要な問題点として浮かび上がったに違いない。したがって、引用①~④の三時教判についての議論も、第一時有宗についてはとりあえず問題になっておらず第二時空宗が対象となったものであったと考えられるだろうし、唐決としての『髄脳』の意図もそこにあったと考えてよいだろう。

また、引用されている文献の作者に注目してみると、慈恩基のものがほとんであるが、慧沼、智周、如理といった中国の諸師と『辯中辺論』本文が一度ずつ登場する。『髄脳』において、これら諸師の矛盾が問題とされていたのであれば、裏を返せば当時、これら諸師がひとつの学派を形成していると考えられており、学派としての一貫性が問題となっていると考えることもできよう。この基・慧沼・智周・如理という構成は、現在、人口に膾炙されている所謂「法相三祖」に近い形である。しかし、この三祖という概念については先学によって疑義が提示されており17、また、同時代の善珠や慚安が必ずしも三祖にこだわっていないことから考えると、『髄脳』のこの引用傾向は、「三祖」の形成期を類推する上でたいへん興味深い例となっているのではなかろうか。

四 おわりに

推測を交えた不充分な検討ながら、『髄脳』の抱えていた疑問点の一端だけでもを解明することができたのではないかと思う。右に指摘した点だけでは解釈しきれない部分が残されているため、その点についてはより多くの同時代文献との比較等を通じて解明されるものと期待され、今後の課題としたい。

また、『髄脳』が唐に渡ったことによって、問題が解決されたのかどうか、解決されたとしたらどのような結論を与えられて帰国したのか、これらの点についても、『髄脳』以降の文献を分析することで解明されるのではないかと思う。さらに、何故後世において本文が省略され秘匿されたのか、中世の法相学派にとって隠さなければならないほど異質で認め難いものであったのか、あるいは単に重要な教説であったためにこれを一部の人間が独占しようとしたのか等々、『髄脳』のその後についての疑問は尽きない。これも今後の課題としたいと思う。

  1. 『大日本仏教全書』巻九七・解題一、二一二頁上段、「法相髄脳」の項。担当富貴原章信。

  2. 『仏書解説大辞典』巻十、一一〇頁上段、「法相髄脳」の項。担当佐伯良謙。

  3. 鎌田茂雄氏によれば、松原恭譲氏による目録に『現存日本撰述の華厳部及び其附属』(東大寺図書館蔵)なるものがあり、そこには「華厳髄脳鈔」なる筆者不明の書名が見える(鎌田茂雄『華厳学研究資料集成』東京大学東洋文化研究所、一九八三年三月)。『法相髄脳』との関連を想像させ、大変興味深い。なお、この「華厳髄脳鈔」については佐藤厚氏のご教示による。ここに記して感謝申し上げたい。

  4. 以下、該当箇所を引用する。

    「有法一分非極成過」者、有法既言「真性有為」。若中宗「真性有為」非空不空、彼宗不許。若彼宗「真性」一向是空、中宗不許。故於自他各有一分所別不極成過。
    問。若爾、如声論者対仏弟子説声為常、無常之声彼宗不有、彼宗常声仏弟子無、応有自他不極成過。答。常与無常正是所諍故非是過也。
    若爾、空与非空為例亦然、如何是過。答。此不相例。且如常与無常即是「声」上別義、正是所諍不諍声体。今言真性不是別義。此宗真性体非空有、彼宗真性自体是空、彼此両宗互不相許故不極成。能別中空即是「有為」等上、正所諍義故理別也。亦如下成意有倶有依、不以有依無依意識為所別不極成過、但他方仏意識最後身菩薩有漏意識互不許為不極成、今此亦爾。
    問。下言「極成意識」即簡彼此二不極成。今此若言極成「真性有為」、簡互不許応無過耶。答。不為例。彼説極成除所簡、外立余意識、有法仍存。今若簡便無有法、為立何等。故義別也。
    「四種世俗」至「各随摂」者、謂世俗可説為空、余四勝義非空非有。
    「若随小乗彼転実有」者、若望中道、非空非有。今望小乗一向不空、言「転実」。
    言「便違自宗」者、違小乗経、倶是仏説亦自宗故。
    護法等説有為法非空不空、亦違『般若』等経諸法皆空、応名違自教耶。答。彼説遍計為空、護法亦許故、無違教之失。
    若爾、清辨亦云我亦不違中道之教。『深密』等説非空非不空者、約世俗諦名為非空、約勝義諦名非不空、無違自教之失。答。我亦有異、経論明説依円非空遍計非不空。曾無処説三性倶空、故汝有違、我不違也。『深密経』説相・勝義無自性者、彼経自云仏密意説。不可為例。(卍続七八・八六一a~八六二a)

    ここでは、引用⑨の智周『演秘』と同様、「声論者」を題材とした問答が見られ、興味深い。また、後半の「護法等説…」以下の問答では、『般若経』と三性説による「非空不空」説との関係が指摘されており、『髄脳』引用④において『辯中辺論』を引用する問題意識と重なる部分があるのではないかと思われる。この共通性が、慈蘊または『髄脳』の書写者をして「如理義演」を「如道疏義蘊」と書き間違えさせる原因となった、という推測もあるいは成り立つかもしれないが、それにも関わらず慈蘊が引用しなかった、という点には留意したい。

  5. 『仏書解説大辞典』によれば、如理『成唯識論疏義演』の諸本は、卍続蔵経のほか、写本が東洋大学哲学堂文庫・大谷大学図書館・龍谷大学図書館・京都大学図書館にあるという。前二者については該当箇所の欠落を確認したが、後二者については未見である。

  6. 法相宗の教判についての研究は、他の天台や華厳にくらべて少ないのではないかと思う。今、管見の及ぶ範囲で先行研究を列挙してみると、加藤精神「唯識宗の三時教判を論ず」(『日華仏教研究会年報』二、一九三七年九月)、深浦正文『唯識学研究』下巻・教義論(一九五四年九月、永田文昌堂)の「第二部判教篇」、楠淳證「三時教判の展開」(『印度学仏教学研究』三七・一、一九八八年十二月)、芝峯「討論唯識三時教問題及其他」(現代佛教學術叢刊四三『唯識思想論集(三)(唯識學專集之九)』、一九七九年十一月、大乘文化出版社)、John Power: “The Three Wheels of Doctrine”, Hermeneutics & Tradition in the Samdhinirmocana-sutra, Leiden: E.J.Brill, 1993、Shotaro Iida “Who best can re-turn the Dharma-cakra ? - a Controversy between Wonch'uk (632-696) and K'uei-chi (632-682) -”(『印度学仏教学研究』三四・二、一九八六年三月)、原田信之「『今昔物語集』天竺部仏伝説話の意味するもの――法相宗三時教判との関係――」(『論究日本文学』五七、一九九二年十二月)「法相教学と『今昔物語集』――ことに南都成立疑問説に関して――」(『立命館文学』五五二、一九九八年一月)、岩田諦静「法相教学と文学――ことに『今昔物語』に関して――」(今成元昭『仏教文学の構想』、一九九六年、新典社)など。特に最後の両氏による論文においては、『今昔物語』を南都成立とするか天台成立するかについての論争が見られるのであるが、そのなかで三時教判の第三時に『法華経』が含まれるかどうかが争点となっている点が注目される。原田氏が指摘するように、基の著作には『法華経』を第三時乃至それに準ずるものとされており、玄奘においても、

    今依大唐三蔵。三種法輪。但説処所。不説時節日月年歳。初法輪処。同真諦説。如前分別。第二法輪依四処十六会説。如大般若。如前所説。而真諦云。在舎衛国給孤独者。於四処中。但説一処。第三法輪。在両処説。一者浄土。二者穢土。如何第一記中已説。真諦記云。毘舎離者。便顕穢土。与経不同。如前分別。通説法華及華厳等為第三者。即鷲峰山及七処八会。如経応知。(円測『解深密経疏』巻五、卍続三四、八二五a~b)

    とあるように、『法華経』は第三時ならぬ第三処に配当するという伝説がある。一方、岩田氏が疑問を持たれたように、善珠もまた『法華経』の一乗が方便・権であるとする『義林章』の説をうけて「若爾由何第三時摂。於此義中応設劬労」(『法苑義鏡』第二、大正七一、一七二b)というとまどいを表明しているのであるが、これはむしろ、『法華経』が第三時であることを雄弁に物語っているといえるだろう。

  7. 太田久紀「日本唯識研究――空教の位置づけ――」(『駒澤大学仏教学部論集』三一、一九七三年三月)「日本唯識研究――他教学とのかかわり――」(『印度学仏教学研究』二八・一、一九七九年十二月)、平井俊栄「平安初期における三論・法相角逐をめぐる諸問題」(『駒澤大学仏教学部研究紀要』三七、一九七八年三月)、松本信道「『大仏頂経』の真偽論争と南都六宗の動向」(『駒沢史学』三三、一九八五年三月)「三論・法相対立の始源とその背景――清弁の『掌珍論』受容をめぐって」(『三論教学の研究』一九九〇年十月)「空有論争の日本的展開」(『駒大文学部研究紀要』四九、一九九一年三月)「大安寺三論学の特質――道慈・慶俊・戒明を中心として――」(『古代史論叢』一九九四)

  8. 詔曰。法相之義。立有而破空。三論之家。仮空而非有。並分軫而斉?。誠殊途而同帰。慧炬由是逾明。覚風以之益扇。比来所有仏子。偏努法相。至於三論。多廃其業。世親之説雖伝。龍樹之論将墜。良為僧綱無誨。所以後進如此。宜慇懃誘導。両家並習。俾夫空有之論経馳驟而不朽。大小之乗変陵谷而靡絶。普告緇侶。知朕意焉。(「延暦一七年九月壬戌詔」、『類聚国史』巻一七九・仏道部六、『新訂増補国史体系』第六、二三七頁)

  9. 復三論法相。義宗殊途。彼此指揮。理須粗弁。(「延暦二〇年四月丙午」、『類聚国史』巻一八七・仏道部一四、『新訂増補国史体系』第六、三一四頁)

  10. 今聞。三論法相。二宗相争。各専一門。彼此長短。若偏被抑。恐有衰微。(「延暦二一年正月庚午勅」、『類聚国史』巻一八七・仏道部一四、『新訂増補国史体系』第六・二一六頁)
    如聞。三論法相。彼此角争。阿党朋〓。欲専己宗。更相抑届恐有所絶。(太政官符「応正月御斎会及維摩等会均請六宗学僧事」、『類聚三代格』巻二、『新訂増補国史体系』第二五・五五頁)

  11. 緇徒不学三論。専崇法相。三論之学。殆以将絶。頃年有勅二宗並行。至得度者未有法制。自今以後。三論法相各度五人。立為恒例(「延暦二二年正月戊寅勅」、『類聚国史』巻一七九・仏道部六、『新訂増補国史体系』第六・二三七頁)

  12. 真如妙理。一味無二。然三論法相。両宗菩薩。目撃相諍。蓋欲令後代学者以競此理各深其業歟。如聞。諸寺学生。就三論者少。趣法相者多。遂使阿党凌奪其道疎浅。宜年分度者毎年宗別五人為定。(「延暦二三年正月癸未勅」、『類聚国史』巻一七九・仏道部六、『新訂増補国史体系』第六・二三八頁)

  13. 『唯識分量決』では、「義演師」の「枢要記」(大正七一・四四八a)とするが、太田久紀氏や李萬氏は義賓とする(太田久紀前掲「日本唯識研究――他教学とのかかわり――」。李萬「新羅義賓?唯識思想」、『韓國佛教學』一七、一九九二年)。後述の慚安『法相灯明記』所引の「新羅賓記」に、「枢要記」と一致する箇所があり、両氏の説を証している。次の脚注を参照。なお李萬氏の論文については、佐藤厚氏のご教示による。ここに記して感謝申し上げたい。

  14. 『法相灯明記』には「新羅賓記云。真性有為四字皆是法云云」(大正七一・四九c)とあり、前掲の善珠『唯識分量決』の「枢要記」の引用と一致する箇所がある。右の脚注を参照。

  15. 太田久紀前掲「日本唯識研究――他教学とのかかわり――」

  16. 江島恵教『中観思想の展開――Bh?vaviveka研究――』(春秋社、一九八〇年二月)一四〇ページ、脚注二八。

  17. 根無一力氏は「この三祖の相承がいったいいつごろから言われだしたのか分からない。また中国の高僧伝や歴史文献にも記されていない。おそらく入唐第四伝の玄昉が智周に師事していたためにこれを正系とみた、と考えるのが自然であろう」(根無一力「慧沼の研究――伝記・著作をめぐる諸問題――」、山崎慶輝教授定年記念論集『唯識思想の研究』所収、一九八七年七月、龍谷大学仏教学会)と述べられ、また吉津宜英氏は智周の伝記に関して「『宋高僧伝』にも立伝されていないとか、慧沼伝に弟子として名前が列せられていないとか、いろいろ問題になる点が多い」(吉津宜英『華厳一乗思想の研究』一九九一年七月、大東出版社、六四〇頁)と述べられている。管見のおよぶ範囲では、敦煌で活躍した法相宗系の僧曇曠(八世紀頃)による『大乗入道次第開決』に「大唐開元初有樸陽大徳身号智周。我大唐三蔵曾孫弟子。慈恩大師之孫弟子。河南法師之親弟子。即是青龍大師異方同学」(大正八五・一二〇六c~一二〇七a)とあるのが、中国の文献において「法相三祖」的な相承を明示している唯一の例である。ただし、ここでは「大唐三蔵」すなわち玄奘と、「青龍大師」すなわち道氤(六六八~七四〇)が併記されており、完全な形での「三祖」にはなっていない。